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山本七平氏の「弁慶がな、ぎなた」読み No.2
1.イエスは「山上の垂訓」で「誓うな」と教えた。よって、キリスト教徒がイエスの教えに反して「誓う」はずがない。(即ち、キリスト教徒であるコーチャン氏が誓うわけはない)
にも関わらず、「誓った」と翻訳されている「佐伯訳」は、「誤訳、珍訳」である。佐伯氏は、宗教学者であるにも関わらず「イエスの山上の垂訓」さえ知らないのである。
2.swear には二つの意味があり、イエスはswear byすることを禁じたが、swearすることは禁じなかった。
山本氏はその二つを次のようなものだと言う。
(a). swear →祈り誓う
(b). swear by →(神)にかけて誓う
そして、コーチャン氏の場合は(a)の方であり、コーチャン氏は「誓った」のではなく「祈り誓った」のであると山本氏は主張する。
従って、「誓う」と翻訳した佐伯氏は誤っており、「祈り誓う」としなければいけない。
ちょちょんまげ注:「誓う」と「祈り誓う」ってどう違うんだ(笑)
分かる人いるんかいな?
3.よって、「アメリカ人は絶対に誓わない」でなければならない。
その認識の無い佐伯氏は誤っている。
では、佐伯真光氏はこの山本氏の批判に対してどう反論したか。
本多勝一編「ペンの陰謀」潮出版社 1977年 より、引用する。
#1
(キリスト教徒がイエスの教えに反して「誓う」はずがない)
(アメリカ人は絶対に誓わない)
に対して:
(佐伯)
----これはまことに乱暴な説である。イエスの言葉を文字通りに受け取り、宣誓を拒否するキリスト教徒は、昔も今も存在する。
クエーカー、メノナイト、モラビア兄弟団はその代表である。
しかし、現在、圧倒的大多数のキリスト教徒は、宣誓を拒否してはいない。
イエスの言葉を、誓いの濫用をいましめたと解するからである。
#2
(イエスが禁じたのはswearすること《祈り誓う》ではなかったに対して)
(佐伯)
しかし、現実には、宣誓しないはずのキリスト教徒が毎日法廷でswearという言葉をとなえている。
この矛盾をどう解決したらよいか。
そこで山本氏は、イエスが禁じたのはswearではない、またswearは「誓う」ではなく「祈り誓う」という意味だというこじつけを発明した。
上の部分は山本氏の次のような記述に対しての反論である。
(山本)
イエスが禁じたのは、実はoathとswear atの否定(新英訳等)であって、swearの否定ではないとするからである。-------もちろん異論もありうる。
(中略)
通常はswearではなく swear by(at)を禁じたものと解する。
従ってチャーチ氏はswear by God(神に誓え)ともswear at all(全てに誓え)とも言っていない。
---当然のことだ。佐伯氏はこれを誤解している。
上記の「もちろん異論もありうる」の忍ばせ方の香ばしさを、ぜひ味わっていただきたい。
「通常〜解する」の逃げ道をそっと用意してあるのである。
この部分の解釈について「佐伯氏はこれを誤解している」と指摘しておきながら、「もちろん異論もありうる」である。
山本氏の卑劣さが垣間見える部分である。
(実は「中略」の部分も、山本氏独特のグダグダを読むことができて面白いのだが、長くなるので省略した)
そして、以下に山本氏完全ノックダウンの(恥を知る普通の人間ならばギブアップのはずの)カウンターパンチが決まる。
(佐伯、上掲山本氏の文章に触れ)
晦渋そのものの文章である。実はこれを「解読」するためには三つの鍵が必要なのだ。
第一の鍵。
引用文冒頭のセンテンスは日本語として間違いである。
「禁止したのは」と言っておきながら次に「否定であって・・・・、否定でない」と言ったので、二重否定になってしまっている。
(中略)
第二の鍵。
山本氏は not〜at all という熟語を知らない。
忖度するに山本氏はこう言いたいらしい。
1 イエスが禁じたもの oath, to swear by, to swear at
2 イエスが禁じなかったもの to swear
そこで、英訳聖書を見ると、イエスはこう言っている。
Do not swear at all.(一切誓うな)
もう、読者諸賢にはお分かりであろう。
山本氏がなにを間違えていたのか。
引用を続ける。
(佐伯)
ところが驚くべきことに山本氏はこの英語を all に swear at するな、と読んだ。
その証拠に上の引用文に swear at が四回もあらわれる。
そのうえわざわざ swear at all (すべてに誓え)と訳までつけている。
イエスは swear at するなとは言ったが、 swear するなとは言わなかったという理屈である。
これを書きながら私はまだ半信半疑である。
まさか山本氏が not〜at all という熟語を知らないとは信じられないからだ。
しかし、事実は事実である。
ギリシャ語の原文はメー・オモサイ・ホロース(いっさい誓うな)である。
というおそ松くん。
そして、佐伯氏の結論。
(佐伯)
わかりきったことだが、at all は否定と結びついて「全然・・・・ない」という意味になる。
だからswear at all (全てに誓え)などという文はありえない。(辞書を見ると to swear atという熟語があるが、 これは 1.ののしる 2.調和しない、という意味で、今の議論とは関係がない)どう考えても山本氏はこの英語を Do not/swear at/all. と読んだとしか思えない。
山本氏の英語力は「弁慶がな、ぎなたを・・・・」と読んだ落語の熊さんの日本語なみである。
本来、議論はこれでお仕舞いのはずである。
しかし、山本氏はここからさらに醜い抵抗を延々と続けるのである。
さて、ひと段落したところでwaveriderさんに伺いたいのだが、この論争のここまでの経緯を読まれて、(主に五ヶ月間もウダウダと続いちゃったことの)問題は佐伯氏側主張が「正論・正しいことが権威を帯びた」ことなのであろうか?(とりあえずwaveriderさんが佐伯氏側の正しさを認めてくださったとして)
それとも、山本氏が、卑怯・卑劣・馬鹿だったことなのであろうか?
私には佐伯氏に一点の問題もなく、山本氏側に200%ぐらい責任があるように思えるのですけれど。
注:引用内の発言者名、強調、下線などは全て引用者によるものです。
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