愛妻と夕食を
先週の土曜日のこと。
私の息子は隣家で催されていたちょっとした子供たちのパーティに参加していた。
子供たちはピザを注文して一緒に夕食をすませることになったので、私とうちのハニーは久しぶりに二人で夕食を食べに出かけることにした。
彼女のお気に入りの、リトル東京にある「Raku」レストランに出かけていった。
「Raku」は、日本生まれの韓国人の女性がやっているお店。
彼女もアメリカに移り住んできてもう25-6年になるのではないかと思う。
私との付き合いも随分長いものだ。
このお店は「韓国風味日本流居酒屋」で、こちらにしてはなかなか美味しいものを食べさせてくれる。
現在、南カリフォルニアにはざっと1,500-1,600軒ほどの「日本食(と名のつく)レストラン」があると言われているが、私たち日本育ちの日本人が食して「旨い」と思える店は100軒もないのではないだろうか。
「Raku」はそのうちの一軒。
私たち夫婦の贔屓のお店である。
今回はこんなものを注文してみた。
なんと言っても食い始めてから写真を撮ることを思いついたので、食い散らかしみたいだけど、カンベンね。

「ゴーヤチャンプル」と「トコブシとシイタケのバター炒め」
「ゴーヤチャンプル」はかなり「カツオだし」が効いた味付け。私には旨かったが、沖縄でもそうするものなのだろうか。
「トコブシ」はハニーのリクエスト。
台湾の人たちは例外なく「貝類」が大好きだ。

うわー、こりゃほんとに食い散らかし状態なんだけど、
ご飯は「じゃこメシ」、カキフライは一応「広島産のカキ」、「エイヒレ」(これも台湾人大好きアイテムの一つ)、そして1ヶ1ドルの「梅ぼし」(高いけど旨い)

生ビールにゴーヤチャンプルはよくあいます。

と、「鯖の塩焼き」。
これらと、「アサリの味噌汁」で、チップを入れて79ドル。
以上の写真はみつどんさんやcomplex_catさんがブクマなさっていた「超!美味しく変換 - 料理の写真をおいしそうにするよ♪ 」で、変換してみたのだけど、もともとの超ヘッタクソ写真及び食い散らかし感はどう糊塗することも出来なかたあるね。
帰路、いつもと、そしてもっと以前と同じように君が隣に座っていた。
しかし、ふと君の右の乳房はすでに失われていることを思い出した。
昨年の6月に右の乳房に極小の石灰の固まり(microcalcification cluster)が幾つか見つかり、良性であって欲しいという期待は裏切られ、更にその極小の石灰の固まりを取り除けば「全摘出」もしないですむだろうという予想も覆され、あれよあれよという間に結論は「全摘しかない」という、俺に比べればずっと年若い君には残酷なところに転がって行ってしまった。
それでも「抗癌剤治療」は避けることができ、「放射線治療」だけで術後を済ませることができた。
本当に良かった。
「抗癌剤治療」だけは俺も君も回避できることを切望していた(というより、そこのステージに君がいないことを
望んでいた)。
早期に見つかってラッキーだったんだよ。
もちろん、君にしてみればそんな風に割り切ることはとても難しいことだったと思うけれど(死への恐怖さえあった筈だし)弱音もはかずに放射線治療が終わるまで笑顔でがんばってくれた。
俺はそういう君を誇りに思う。
周囲に妙な代替医療とかを君に吹き込むような人が皆無だったのは幸いだった。
もしそんなことがあって、君が影響されるようだったら、また俺たちは大喧嘩をしていただろう(笑)
そして治療が一段落したいま、君の希望通り春休みには日本に行こうな。
故郷の台湾でなく、君が日本に行きたがってくれるのは俺としてもとてもうれしいことだ。
貸切の温泉があるような宿に泊まって旨いもんを食おう。
少々贅沢したってかまわないだろ。
君の言うとおり、生きているうちに楽しまなければウソだ。
アメリカ流にレジャーのために借金しちゃおうぜ(笑)
そんなことを考えながら運転していたら家に着いた。
ちょうど井上陽水の「なぜか上海」の「ころがるほどに丸いお月さん見に」を聞いた直後、家の屋根越しに真ん丸い月が見えた。

私の息子は隣家で催されていたちょっとした子供たちのパーティに参加していた。
子供たちはピザを注文して一緒に夕食をすませることになったので、私とうちのハニーは久しぶりに二人で夕食を食べに出かけることにした。
彼女のお気に入りの、リトル東京にある「Raku」レストランに出かけていった。
「Raku」は、日本生まれの韓国人の女性がやっているお店。
彼女もアメリカに移り住んできてもう25-6年になるのではないかと思う。
私との付き合いも随分長いものだ。
このお店は「韓国風味日本流居酒屋」で、こちらにしてはなかなか美味しいものを食べさせてくれる。
現在、南カリフォルニアにはざっと1,500-1,600軒ほどの「日本食(と名のつく)レストラン」があると言われているが、私たち日本育ちの日本人が食して「旨い」と思える店は100軒もないのではないだろうか。
「Raku」はそのうちの一軒。
私たち夫婦の贔屓のお店である。
今回はこんなものを注文してみた。
なんと言っても食い始めてから写真を撮ることを思いついたので、食い散らかしみたいだけど、カンベンね。

「ゴーヤチャンプル」と「トコブシとシイタケのバター炒め」
「ゴーヤチャンプル」はかなり「カツオだし」が効いた味付け。私には旨かったが、沖縄でもそうするものなのだろうか。
「トコブシ」はハニーのリクエスト。
台湾の人たちは例外なく「貝類」が大好きだ。

うわー、こりゃほんとに食い散らかし状態なんだけど、
ご飯は「じゃこメシ」、カキフライは一応「広島産のカキ」、「エイヒレ」(これも台湾人大好きアイテムの一つ)、そして1ヶ1ドルの「梅ぼし」(高いけど旨い)

生ビールにゴーヤチャンプルはよくあいます。

と、「鯖の塩焼き」。
これらと、「アサリの味噌汁」で、チップを入れて79ドル。
以上の写真はみつどんさんやcomplex_catさんがブクマなさっていた「超!美味しく変換 - 料理の写真をおいしそうにするよ♪ 」で、変換してみたのだけど、もともとの超ヘッタクソ写真及び食い散らかし感はどう糊塗することも出来なかたあるね。
帰路、いつもと、そしてもっと以前と同じように君が隣に座っていた。
しかし、ふと君の右の乳房はすでに失われていることを思い出した。
昨年の6月に右の乳房に極小の石灰の固まり(microcalcification cluster)が幾つか見つかり、良性であって欲しいという期待は裏切られ、更にその極小の石灰の固まりを取り除けば「全摘出」もしないですむだろうという予想も覆され、あれよあれよという間に結論は「全摘しかない」という、俺に比べればずっと年若い君には残酷なところに転がって行ってしまった。
それでも「抗癌剤治療」は避けることができ、「放射線治療」だけで術後を済ませることができた。
本当に良かった。
「抗癌剤治療」だけは俺も君も回避できることを切望していた(というより、そこのステージに君がいないことを
望んでいた)。
早期に見つかってラッキーだったんだよ。
もちろん、君にしてみればそんな風に割り切ることはとても難しいことだったと思うけれど(死への恐怖さえあった筈だし)弱音もはかずに放射線治療が終わるまで笑顔でがんばってくれた。
俺はそういう君を誇りに思う。
周囲に妙な代替医療とかを君に吹き込むような人が皆無だったのは幸いだった。
もしそんなことがあって、君が影響されるようだったら、また俺たちは大喧嘩をしていただろう(笑)
そして治療が一段落したいま、君の希望通り春休みには日本に行こうな。
故郷の台湾でなく、君が日本に行きたがってくれるのは俺としてもとてもうれしいことだ。
貸切の温泉があるような宿に泊まって旨いもんを食おう。
少々贅沢したってかまわないだろ。
君の言うとおり、生きているうちに楽しまなければウソだ。
アメリカ流にレジャーのために借金しちゃおうぜ(笑)
そんなことを考えながら運転していたら家に着いた。
ちょうど井上陽水の「なぜか上海」の「ころがるほどに丸いお月さん見に」を聞いた直後、家の屋根越しに真ん丸い月が見えた。

「キツスは朕(ちん)にして」あるいは「虻 すばる」のお話
新年快楽!
ということで、わたくしは昨夜、わたくしの連れ合いサイドの親戚の新年会に出席したのであった。
ご存知の方はご存知だと思うのだが、わたくしのいわゆる一つのハニーは台湾人である。
よく知られている通り、中国系の方々は「旧正月」で大きなお祝いをするのだが、今回はある人の提案で新年を祝うことになった。
で、こういう「新年会」だとか、「じいちゃん・ばあちゃんの誕生会」とかの「親戚の集い」における中国系の人の集まり方は凄いものがある。
やはり、「華僑の伝統」のようなものなのであろうか。
昨夜も、ハニーの両親、即ちわたくしの義理の両親を頂点として大中華飯店に老若男女が続々と集まり、10人座れる大きな回転テーブルが6席、総勢60名程が結集したのである。
アメリカ生まれの若い連中5人ほどを除くと、全て台湾から米国に移住してきた人たちである。
そして、このファミリーはいまだにこのロスアンジェルス近郊で増殖中なのである。
一方日本人はというと、バブル崩壊以後減るばかりで、かつては(20年ほど前)はゴルフ場で東洋人を見れば、大抵日本人であったが、現在ゴルフ場で見かけるのはまず中国系か、韓国系の人たちである。
どうして日本人が減っちゃったかというと、帰国した駐在員が多いからで、バブル後は経済的に駐在員を置いておけなくなった会社が増えてしまい交代者が来なくなってしまったからだ。
これを見ると、中国系は故郷を捨てて海外で華僑として生きていくことに基本的に抵抗がなく、日本人は最終的にはあの島(々)に帰って行く人々であるという思いを強くする。(わたくしもかの島(々)にこだわりがあるので、米国市民権取ってないし。取った方が色々と有利なのだが)
慣れているとはいうものの、50人以上集まった人々がほぼ全員北京語の大音声で話をしている中、会話の内容をいっさい理解することなくポツネンと1人座っているのは辛いものがあるのであるよ。
よって、ひたすらビールを飲みながらメシをかっ込んで、場が荒れてきたら英語を中心に喋ってくれる若い連中のところに擦り寄って行くのである。(スタート時点ではきびしい年齢順の席次があって、わたくしはどうしても高齢組みに入れられてしまう。まぁ、義理の両親が日本が台湾を占領していた時代に教育を受けた人たちで、日本語が出来るので助かるのだが)
昨夜我々60人が入ったところは半個室状態の大部屋で、そこにはカラオケセットが用意されていた。
カラオケが始まると、次々に北京語・台湾語の歌の熱唱が始まり、わたくしはしょーがないので、適当にポチポチと拍手係なんぞをしていたわけである。
したところに、今回の幹事がわたくしのところにやってきて、日本語の歌もあるから歌えという。
わたくしは、「え〜、そんなみなさん中国語の歌で楽しんでいるところに1人日本語の歌を歌うなんて悪いですよ。えっ?どうしても歌え?そ〜すかぁ♪そこまでおっしゃるのなら♪」と心ならずも懐柔され、「曲集本」を受け取ったのである。
バインダー式の曲集で「English」、「Chinese」、「Vietnamese」などにわかれて曲が収録されている。
製作は恐らく香港系の会社だと思われる。
そして「Japanes」があった。

「Japanes」と見たときに嫌な予感がしたことはしたのである。
「Japanes」セクションは10ページほどあり、これ↓が最初のページ。

これは、ほんの序の口であった。
まだ「あなた」のように正しいもの、「ダンシンダオルナイト」とか、「カナダからの返崕」とか(「崕」なんて字知らんかったぞ)などと元の曲名が判別できるものがある。
「キツスは朕(ちん)にして」は不敬なんであらうか、それとも親しみをこめられた新曲かもしれない。
いずれにしても宮内庁に報告した方がよろしそうだ。
「ギナ・を隔った局り戯」はカンペキに判別不能。大奥かなんかのお戯れの歌であろうか。

「握る」シリーズ、「鯵」シリーズはお寿司屋さんの歌であろうか。
世界中寿司ブームではあるし。
「易いブランコ」等を見る限り「易」は「白(しろ)」と読ませたいらしい。
「虻 すばる」は当然「昴」のことと思われ、確かに日本語の正しいカラオケブックでも必ず「昴 すばる」と仮名が入っている。
しかし、そこまでご丁寧にコピーしておいて、なぜ漢字の方にわざわざ「虻(あぶ)」を選んで間違える??
なんか悪意でもあるとしか思えんが(笑)

光っちゃって、読みにくくて申し訳ないのだが、「臼」シリーズがあって、続いて「艶」シリーズ(これはカラオケの歌のタイトルとしてはまぁ悪くないかも)あるわけだが、なんと言っても目に付くのは、
「何塁とYシャツと暴」である。
これはまず間違いなく「部屋とYシャツと私」なのだと思われるのだが、暴の方々がYシャツを着て野球をしている姿が思い浮かんでしまうではないか。

「握る」シリーズでちょっとエッチっぽいやつ。「握と棒を需つめて」。
「握の兜悶刮」がなんか凄い。「握るのカブト悶絶けずり」
ここで気がついたのだが、「握」を「愛」という字として使っているようだ。
例えば、「握しいマドロス」は「愛(いと)しいマドロス」、「握して握しちャったのよ」は「愛して愛しちャったのよ」に翻訳できて、意味がまぁ通じる。
「握半かつら」は恐らく「愛染かつら」であろう。
製作者は中国系の人と思われるのだが、タイトルなんか単にコピーすればいいだけのはずなのに、なぜ間違える?
しかも中国人がなぜ違う漢字を使ってしまう?

「海鍋」シリーズはお魚が入っていたりして美味しそうではあるが。「溺れて」しまうこともあるので要注意。
「海鍋は書晩も嚏だった」(嚏:テイ、くしゃみ、と読むそうです)は「長崎は今日も雨だった」?

「叫奨」シリーズ」は後半が分かるものが多いので何と読むか判別できそうだが、実際にはなかなか難しい。
「叫奨キッド」と「叫奨セレナーデ」と「叫奨ナイトクラブ」で共通するのってなんだ?「東京」じゃないよね?

「禅ごころ」、「禅におちて」は、「Fall in love」から、「禅」を「恋」と読んで欲しいことがわかる。
しかし、なぜこういう間違いになるんだ?
キリがないので、もう一つだけ。

「ケツに菊」ときて、「穴いたくて穴いたくて」となれば、初めてだったんだろうなぁやっぱり、と思うのは自然であろう。
いずれにせよ、なぜ中国人の製作(と思われる)でこのようなことになるのかは、さっぱり理由がわからない。
おかげで一曲も歌えなかったぢゃないか、ふんとにもぉッ!
責任者出て来いッ!
(ところで皆様、判別できた曲があったら、ぜひ教えてくださいね。)
おまけ:中国語の曲名リストから歌いたい曲を選ぶのってどうするかご存知ですか?
漢字ですから、「アルファベット順」は無理だし、日本語のように「あいうえお」順のようなものも無い。
正解は、まず、曲名(タイトル)が「漢字何文字か」で絞ります。
例えば漢字5文字のタイトルだったら五文字セクションに行く。
そして、そこからアタマの漢字の「画数」で絞ってその漢字がアタマに来る曲たちに行き着き、遂に歌いたい歌が見つけられる、と。
従って、出だしの「漢字何文字か」が間違っているとやり直しということになります。
もちろん、「歌手別」分類とかありますので、他の検索の仕方もあるわけですけれども。
ということで、わたくしは昨夜、わたくしの連れ合いサイドの親戚の新年会に出席したのであった。
ご存知の方はご存知だと思うのだが、わたくしのいわゆる一つのハニーは台湾人である。
よく知られている通り、中国系の方々は「旧正月」で大きなお祝いをするのだが、今回はある人の提案で新年を祝うことになった。
で、こういう「新年会」だとか、「じいちゃん・ばあちゃんの誕生会」とかの「親戚の集い」における中国系の人の集まり方は凄いものがある。
やはり、「華僑の伝統」のようなものなのであろうか。
昨夜も、ハニーの両親、即ちわたくしの義理の両親を頂点として大中華飯店に老若男女が続々と集まり、10人座れる大きな回転テーブルが6席、総勢60名程が結集したのである。
アメリカ生まれの若い連中5人ほどを除くと、全て台湾から米国に移住してきた人たちである。
そして、このファミリーはいまだにこのロスアンジェルス近郊で増殖中なのである。
一方日本人はというと、バブル崩壊以後減るばかりで、かつては(20年ほど前)はゴルフ場で東洋人を見れば、大抵日本人であったが、現在ゴルフ場で見かけるのはまず中国系か、韓国系の人たちである。
どうして日本人が減っちゃったかというと、帰国した駐在員が多いからで、バブル後は経済的に駐在員を置いておけなくなった会社が増えてしまい交代者が来なくなってしまったからだ。
これを見ると、中国系は故郷を捨てて海外で華僑として生きていくことに基本的に抵抗がなく、日本人は最終的にはあの島(々)に帰って行く人々であるという思いを強くする。(わたくしもかの島(々)にこだわりがあるので、米国市民権取ってないし。取った方が色々と有利なのだが)
慣れているとはいうものの、50人以上集まった人々がほぼ全員北京語の大音声で話をしている中、会話の内容をいっさい理解することなくポツネンと1人座っているのは辛いものがあるのであるよ。
よって、ひたすらビールを飲みながらメシをかっ込んで、場が荒れてきたら英語を中心に喋ってくれる若い連中のところに擦り寄って行くのである。(スタート時点ではきびしい年齢順の席次があって、わたくしはどうしても高齢組みに入れられてしまう。まぁ、義理の両親が日本が台湾を占領していた時代に教育を受けた人たちで、日本語が出来るので助かるのだが)
昨夜我々60人が入ったところは半個室状態の大部屋で、そこにはカラオケセットが用意されていた。
カラオケが始まると、次々に北京語・台湾語の歌の熱唱が始まり、わたくしはしょーがないので、適当にポチポチと拍手係なんぞをしていたわけである。
したところに、今回の幹事がわたくしのところにやってきて、日本語の歌もあるから歌えという。
わたくしは、「え〜、そんなみなさん中国語の歌で楽しんでいるところに1人日本語の歌を歌うなんて悪いですよ。えっ?どうしても歌え?そ〜すかぁ♪そこまでおっしゃるのなら♪」と心ならずも懐柔され、「曲集本」を受け取ったのである。
バインダー式の曲集で「English」、「Chinese」、「Vietnamese」などにわかれて曲が収録されている。
製作は恐らく香港系の会社だと思われる。
そして「Japanes」があった。

「Japanes」と見たときに嫌な予感がしたことはしたのである。
「Japanes」セクションは10ページほどあり、これ↓が最初のページ。

これは、ほんの序の口であった。
まだ「あなた」のように正しいもの、「ダンシンダオルナイト」とか、「カナダからの返崕」とか(「崕」なんて字知らんかったぞ)などと元の曲名が判別できるものがある。
「キツスは朕(ちん)にして」は不敬なんであらうか、それとも親しみをこめられた新曲かもしれない。
いずれにしても宮内庁に報告した方がよろしそうだ。
「ギナ・を隔った局り戯」はカンペキに判別不能。大奥かなんかのお戯れの歌であろうか。

「握る」シリーズ、「鯵」シリーズはお寿司屋さんの歌であろうか。
世界中寿司ブームではあるし。
「易いブランコ」等を見る限り「易」は「白(しろ)」と読ませたいらしい。
「虻 すばる」は当然「昴」のことと思われ、確かに日本語の正しいカラオケブックでも必ず「昴 すばる」と仮名が入っている。
しかし、そこまでご丁寧にコピーしておいて、なぜ漢字の方にわざわざ「虻(あぶ)」を選んで間違える??
なんか悪意でもあるとしか思えんが(笑)

光っちゃって、読みにくくて申し訳ないのだが、「臼」シリーズがあって、続いて「艶」シリーズ(これはカラオケの歌のタイトルとしてはまぁ悪くないかも)あるわけだが、なんと言っても目に付くのは、
「何塁とYシャツと暴」である。
これはまず間違いなく「部屋とYシャツと私」なのだと思われるのだが、暴の方々がYシャツを着て野球をしている姿が思い浮かんでしまうではないか。

「握る」シリーズでちょっとエッチっぽいやつ。「握と棒を需つめて」。
「握の兜悶刮」がなんか凄い。「握るのカブト悶絶けずり」
ここで気がついたのだが、「握」を「愛」という字として使っているようだ。
例えば、「握しいマドロス」は「愛(いと)しいマドロス」、「握して握しちャったのよ」は「愛して愛しちャったのよ」に翻訳できて、意味がまぁ通じる。
「握半かつら」は恐らく「愛染かつら」であろう。
製作者は中国系の人と思われるのだが、タイトルなんか単にコピーすればいいだけのはずなのに、なぜ間違える?
しかも中国人がなぜ違う漢字を使ってしまう?

「海鍋」シリーズはお魚が入っていたりして美味しそうではあるが。「溺れて」しまうこともあるので要注意。
「海鍋は書晩も嚏だった」(嚏:テイ、くしゃみ、と読むそうです)は「長崎は今日も雨だった」?

「叫奨」シリーズ」は後半が分かるものが多いので何と読むか判別できそうだが、実際にはなかなか難しい。
「叫奨キッド」と「叫奨セレナーデ」と「叫奨ナイトクラブ」で共通するのってなんだ?「東京」じゃないよね?

「禅ごころ」、「禅におちて」は、「Fall in love」から、「禅」を「恋」と読んで欲しいことがわかる。
しかし、なぜこういう間違いになるんだ?
キリがないので、もう一つだけ。

「ケツに菊」ときて、「穴いたくて穴いたくて」となれば、初めてだったんだろうなぁやっぱり、と思うのは自然であろう。
いずれにせよ、なぜ中国人の製作(と思われる)でこのようなことになるのかは、さっぱり理由がわからない。
おかげで一曲も歌えなかったぢゃないか、ふんとにもぉッ!
責任者出て来いッ!
(ところで皆様、判別できた曲があったら、ぜひ教えてくださいね。)
おまけ:中国語の曲名リストから歌いたい曲を選ぶのってどうするかご存知ですか?
漢字ですから、「アルファベット順」は無理だし、日本語のように「あいうえお」順のようなものも無い。
正解は、まず、曲名(タイトル)が「漢字何文字か」で絞ります。
例えば漢字5文字のタイトルだったら五文字セクションに行く。
そして、そこからアタマの漢字の「画数」で絞ってその漢字がアタマに来る曲たちに行き着き、遂に歌いたい歌が見つけられる、と。
従って、出だしの「漢字何文字か」が間違っているとやり直しということになります。
もちろん、「歌手別」分類とかありますので、他の検索の仕方もあるわけですけれども。
どーでもよいお知らせ
十日ばかり日本に観光旅行に行きますので、ブログの更新が出来ませんって、もう一月以上してないやつが言うことでもありませんが(爆)
でわ〜^^
でわ〜^^
猫パンチにくろすかうんたー
まぁ、リアルで色々あたわけです。
で、「マイナス一の存在確率」の次ぎのエントリがなかなかあがらないのですけど、その色々とあったリアルの話ってのはブログが更新されない理由のうちの2%ほどしか占めておらず、残りの98%ってのは「う〜めんどっちぃ」ってのが理由なわけなんですが。
ちょちょんまげ氏の根拠を挙げない主張を批判する
碧猫氏からこのようなご批判をいただいた。
で、常々「ニセ科学批判・トンデモウォッチ界隈」で猫派の跳梁跋扈を苦々しく、いやいや、目に余るものと、いやいや、かますびしい、じゃなくてかびすましい、じゃなくてかまびすしい(matasaburoさんの二番煎じ。しかし、これそもそも日本語か?)ことよ、と思っていたわけです。
「ニセ科学批判猫派」
http://complexcat.exblog.jp/ (complex_catさん)
http://blogs.dion.ne.jp/doramao/ (どらねこさん)
http://t2sy8u.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-aeac.html(ハブハンさん。ブログの背景が猫だた)
こういう猫々しい方々ですね。
また、猫語でアルファブロガーになっちゃってる人でさえいるではないか。
いや、ぬこ可愛いですしね、別にいいんですけどこう猫ばっかだと犬について少しは語らなければバランスが取れないんじゃないかと思ってちょっと言ってみただけなんですが、こういう議論を吹っかけてくる人は、全ての日常の犬好きブログをチェックして批判してもらいたいものですよ(笑)←懐かしいでしょ?
しかし、森田健作知事閣下に代表されるように、質実剛健を持ってよしとする千葉県人気質(そしてまた八犬伝の土地柄)。
わたくしも五歳の頃に玩具の刀を振り回していたら、見ていた近所のおじさんに「剣道をやれば三段ぐらいにはなれるかもしれない」と言われたほどの男。(結局やらなかったけど)
批判に背を向けるわけには行くまい。
堂々と反論し、「犬のがかーいー」を論証しようではないか。
さて、わたくしの主張「犬のがかーいー」に対し、碧猫さんは「根拠を挙げない主張である」とわたくしを批判なさっている。
なるほど。
しかしながら、考えても見られたい。
そのご批判は「水伝も実験してみなければ真偽は不明」という主張とほぼ等価である。
なぜならば一般社会人としてのリテラシーさえあれば「犬のがかーいー」が真である事は火を見るよりあきらかであるからだ。
以下バカバカしいこと夥しいのであるが、お付き合いして論証してみよう。
・人間の猫観(猫缶、で無いよ)
人間が猫に抱いているイメージというものは次のようなものであることは明白である。
・猜疑
・狡猾
・気まぐれ
・わがまま/自己中
・化ける
・七代も祟る
・尾が分かれて猫又になる
・憑依する
・死者の骸(むくろ)を盗む(愛知県)
・黒猫が前を横切ると縁起が悪い
・十二支から漏れている(そこから「あいつの約束は猫の正月-けして実現しない」とかの表現が生まれた)
・沖縄では猫の死骸は地面から離しておかなければ災いを招くという迷信があり、木に首を吊るしたり、ビニール袋に入れて袋ごと吊るす習慣があった。(なごなぐさん、ご存知でした?)
・サカリがつく
・行灯の油を舐める
・ジェリーをいじめて酷い目に逢う
等々、良いイメージなどひとつもないばかりか、大半はおどろおどろしい、とでも形容されるべきものばかりではないか。
そればかりか、以上のことから人は猫と共に暮らしてはきたものの、いかに猫を信頼していなかったか、ということがよくわかる。
そしてまた、これらの猫のイメージ・事実から推論できるのであるが、、「ニセ科学批判猫派」は「懐疑主義」でなく「猜疑主義」なのである。
一方、
・人間の犬観
・忠義
・信義・信頼
・盗人撃退
・麻薬取締り
・渋谷駅デート待ち合わせ
・勇敢
・シッポふりふり
・エリカちゃん(by 東海林さだお)
・南極越冬
・スプートニク2号
・盲導などのソーシャルサービス
・101匹わんちゃん大行進
・「ヨーゼフ!」「わん!」
この違いがお分かりになるであろうか。
人が犬を愛し、信頼して共生してきた歴史が凝縮されているようではないか。
(たまに、「忠」のイメージを悪用されて「幕府の犬」とか、「国家権力の犬」とかの表現あるけどね。)
「かーいーかどうか」を論証するということは、「人類全体の犬や猫に対す主観」がどういうものであるか論じれば良いわけであるから、本来はこれでもう充分であるのだが、もう少し続けてみよう。
ウィキペディアには「歴史に名を残したイヌ 」という記述がある。
果たして「歴史に名を残したネコ」が存在するであろうか?
せいぜい「鍋島の碧猫、いやいや、化け猫」ぐらいではないか?

与謝蕪村画 『蕪村妖怪絵巻』の化け猫
また、「猫科」の代表的な動物である「ライオン」のオスは、見てくればっかり立派でゴロゴロ寝てばかりいるくせにハーレムを持ち、メスたちが狩ってきた獲物の一番いいところを先に偉そうに食ってしまうというなんともうらやましい、いやいや、言語道断な生き物である。
この「ライオンのオス」の性癖・行動を見て、アフリカ由来であると言われているヒトの祖先たちが「体が大きくて強いオスはあれでいいのだ」と真似をしちって「男性優位」がヒトの社会に移入にされてきてしまった可能性も進化心理学的にあり得ることだと言われたら否定できまい。(うっ、ツッコミこわい)
世界の全フェミニストはただちにライオンのオスに対して抗議行動を起こし、メスたちの弱腰も糾弾すべきである。(これもこわいことを書いたよ〜な気がする)
さらにこれは最近発見したことであるが、
http://h.hatena.ne.jp/kananaka/←コチラの方とか
http://h.hatena.ne.jp/Kakinoki2nd/←コチラの方とか
は、
「私はぬこの下僕」とまで発言しているのである!
ヒトが、何者かの「下僕」になる?
ここは「奴隷時代」のアメリカか?
で、あなた方は奥村チヨか?
ぬこは「ヒトラー総統」か?
これでも見て反省しなさい、ふんとにもぉっ。
で、世界の反差別主義者たちはただちに「ぬこ総統」に対して抗議行動を起こすべきである。
もう猫の性格・性癖の悪辣さについて述べるのは充分であろう。
犬と比べて「かーいー」と言えるようなところが一つでもあったであろうか?
碧猫さんは私の「全国9,000万」という数字に根拠が無いとおっしゃっているが、これはわたくしが全人生を生き抜いてきたなかで「犬好き、猫好き」の割合いが大体「7対3」ぐらいであることを認識したという極めて綿密なものであり、これを否定するということはわたくしの人生そのものを否定することにも等しく、重大な「人格攻撃」行為と言わざるを得まい。
「ナスVSピーマン」に関してはちょっと正確さを欠いたことを認めよう。
例えナスのシュウ酸カルシウムが唇を荒らそうとも、断じてピーマンの方が嫌いだという人は80%ぐらいにはなるのではないか?
「幼稚園」、「小学校(できれば低学年)」等の人が多く集まるところで「ピーマン好き?」とアンケートを採れば多数のサンプルが集まりその数字はもっと確実になるであろうが、まぁやるまでもあるまい。
次にご要望の「画像」をお見せして、決定的な証拠としようではないか。
まず犬。

眉毛を書き足されても変わらぬ可愛さであると言える。
しかしながら猫。

もはや言葉が無い。
そしてさらに、「世界一かーいー」犬の画像を数枚お見せしよう。


そう、ウチの犬である。
うちのハニーの好みなので「少女趣味」などと言わぬよ〜に。
碧猫さんのエントリを拝読して、碧猫さんが「ぬこぬこ」おっしゃっているのは、要するに本当は犬の方がかーいーと思っているのに様々な制約から不本意ながら猫を飼っているのでしょうがなくであるということがわかった。(わ〜、ごめんなさい、ごめんなさい)
そこで、ここまで完璧な論証をして猫をdisってしまったわたくしであるが、碧猫さんに手を差し伸べてあげよう思うのだ。
そしてまた、けしてこれを読んでも反省などしないであろう(何を?)「ニセ科学批判猫派」の皆様にも平和的な解決を提案したい。
即ち、共通の敵を作ればよろしい。
お互いにサメでも差別するということで手を打ちませんか?
こちらとか→http://d.hatena.ne.jp/islecape/
で、「マイナス一の存在確率」の次ぎのエントリがなかなかあがらないのですけど、その色々とあったリアルの話ってのはブログが更新されない理由のうちの2%ほどしか占めておらず、残りの98%ってのは「う〜めんどっちぃ」ってのが理由なわけなんですが。
ちょちょんまげ氏の根拠を挙げない主張を批判する
碧猫氏からこのようなご批判をいただいた。
で、常々「ニセ科学批判・トンデモウォッチ界隈」で猫派の跳梁跋扈を苦々しく、いやいや、目に余るものと、いやいや、かますびしい、じゃなくてかびすましい、じゃなくてかまびすしい(matasaburoさんの二番煎じ。しかし、これそもそも日本語か?)ことよ、と思っていたわけです。
「ニセ科学批判猫派」
http://complexcat.exblog.jp/ (complex_catさん)
http://blogs.dion.ne.jp/doramao/ (どらねこさん)
http://t2sy8u.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-aeac.html(ハブハンさん。ブログの背景が猫だた)
こういう猫々しい方々ですね。
また、猫語でアルファブロガーになっちゃってる人でさえいるではないか。
いや、ぬこ可愛いですしね、別にいいんですけどこう猫ばっかだと犬について少しは語らなければバランスが取れないんじゃないかと思ってちょっと言ってみただけなんですが、こういう議論を吹っかけてくる人は、全ての日常の犬好きブログをチェックして批判してもらいたいものですよ(笑)←懐かしいでしょ?
しかし、森田健作知事閣下に代表されるように、質実剛健を持ってよしとする千葉県人気質(そしてまた八犬伝の土地柄)。
わたくしも五歳の頃に玩具の刀を振り回していたら、見ていた近所のおじさんに「剣道をやれば三段ぐらいにはなれるかもしれない」と言われたほどの男。(結局やらなかったけど)
批判に背を向けるわけには行くまい。
堂々と反論し、「犬のがかーいー」を論証しようではないか。
さて、わたくしの主張「犬のがかーいー」に対し、碧猫さんは「根拠を挙げない主張である」とわたくしを批判なさっている。
なるほど。
しかしながら、考えても見られたい。
そのご批判は「水伝も実験してみなければ真偽は不明」という主張とほぼ等価である。
なぜならば一般社会人としてのリテラシーさえあれば「犬のがかーいー」が真である事は火を見るよりあきらかであるからだ。
以下バカバカしいこと夥しいのであるが、お付き合いして論証してみよう。
・人間の猫観(猫缶、で無いよ)
人間が猫に抱いているイメージというものは次のようなものであることは明白である。
・猜疑
・狡猾
・気まぐれ
・わがまま/自己中
・化ける
・七代も祟る
・尾が分かれて猫又になる
・憑依する
・死者の骸(むくろ)を盗む(愛知県)
・黒猫が前を横切ると縁起が悪い
・十二支から漏れている(そこから「あいつの約束は猫の正月-けして実現しない」とかの表現が生まれた)
・沖縄では猫の死骸は地面から離しておかなければ災いを招くという迷信があり、木に首を吊るしたり、ビニール袋に入れて袋ごと吊るす習慣があった。(なごなぐさん、ご存知でした?)
・サカリがつく
・行灯の油を舐める
・ジェリーをいじめて酷い目に逢う
等々、良いイメージなどひとつもないばかりか、大半はおどろおどろしい、とでも形容されるべきものばかりではないか。
そればかりか、以上のことから人は猫と共に暮らしてはきたものの、いかに猫を信頼していなかったか、ということがよくわかる。
そしてまた、これらの猫のイメージ・事実から推論できるのであるが、、「ニセ科学批判猫派」は「懐疑主義」でなく「猜疑主義」なのである。
一方、
・人間の犬観
・忠義
・信義・信頼
・盗人撃退
・麻薬取締り
・渋谷駅デート待ち合わせ
・勇敢
・シッポふりふり
・エリカちゃん(by 東海林さだお)
・南極越冬
・スプートニク2号
・盲導などのソーシャルサービス
・101匹わんちゃん大行進
・「ヨーゼフ!」「わん!」
この違いがお分かりになるであろうか。
人が犬を愛し、信頼して共生してきた歴史が凝縮されているようではないか。
(たまに、「忠」のイメージを悪用されて「幕府の犬」とか、「国家権力の犬」とかの表現あるけどね。)
「かーいーかどうか」を論証するということは、「人類全体の犬や猫に対す主観」がどういうものであるか論じれば良いわけであるから、本来はこれでもう充分であるのだが、もう少し続けてみよう。
ウィキペディアには「歴史に名を残したイヌ 」という記述がある。
果たして「歴史に名を残したネコ」が存在するであろうか?
せいぜい「鍋島の碧猫、いやいや、化け猫」ぐらいではないか?

与謝蕪村画 『蕪村妖怪絵巻』の化け猫
また、「猫科」の代表的な動物である「ライオン」のオスは、見てくればっかり立派でゴロゴロ寝てばかりいるくせにハーレムを持ち、メスたちが狩ってきた獲物の一番いいところを先に偉そうに食ってしまうというなんともうらやましい、いやいや、言語道断な生き物である。
この「ライオンのオス」の性癖・行動を見て、アフリカ由来であると言われているヒトの祖先たちが「体が大きくて強いオスはあれでいいのだ」と真似をしちって「男性優位」がヒトの社会に移入にされてきてしまった可能性も進化心理学的にあり得ることだと言われたら否定できまい。(うっ、ツッコミこわい)
世界の全フェミニストはただちにライオンのオスに対して抗議行動を起こし、メスたちの弱腰も糾弾すべきである。(これもこわいことを書いたよ〜な気がする)
さらにこれは最近発見したことであるが、
http://h.hatena.ne.jp/kananaka/←コチラの方とか
http://h.hatena.ne.jp/Kakinoki2nd/←コチラの方とか
は、
「私はぬこの下僕」とまで発言しているのである!
ヒトが、何者かの「下僕」になる?
ここは「奴隷時代」のアメリカか?
で、あなた方は奥村チヨか?
ぬこは「ヒトラー総統」か?
これでも見て反省しなさい、ふんとにもぉっ。
で、世界の反差別主義者たちはただちに「ぬこ総統」に対して抗議行動を起こすべきである。
もう猫の性格・性癖の悪辣さについて述べるのは充分であろう。
犬と比べて「かーいー」と言えるようなところが一つでもあったであろうか?
碧猫さんは私の「全国9,000万」という数字に根拠が無いとおっしゃっているが、これはわたくしが全人生を生き抜いてきたなかで「犬好き、猫好き」の割合いが大体「7対3」ぐらいであることを認識したという極めて綿密なものであり、これを否定するということはわたくしの人生そのものを否定することにも等しく、重大な「人格攻撃」行為と言わざるを得まい。
「ナスVSピーマン」に関してはちょっと正確さを欠いたことを認めよう。
例えナスのシュウ酸カルシウムが唇を荒らそうとも、断じてピーマンの方が嫌いだという人は80%ぐらいにはなるのではないか?
「幼稚園」、「小学校(できれば低学年)」等の人が多く集まるところで「ピーマン好き?」とアンケートを採れば多数のサンプルが集まりその数字はもっと確実になるであろうが、まぁやるまでもあるまい。
次にご要望の「画像」をお見せして、決定的な証拠としようではないか。
まず犬。

眉毛を書き足されても変わらぬ可愛さであると言える。
しかしながら猫。

もはや言葉が無い。
そしてさらに、「世界一かーいー」犬の画像を数枚お見せしよう。


そう、ウチの犬である。
うちのハニーの好みなので「少女趣味」などと言わぬよ〜に。
碧猫さんのエントリを拝読して、碧猫さんが「ぬこぬこ」おっしゃっているのは、要するに本当は犬の方がかーいーと思っているのに様々な制約から不本意ながら猫を飼っているのでしょうがなくであるということがわかった。(わ〜、ごめんなさい、ごめんなさい)
そこで、ここまで完璧な論証をして猫をdisってしまったわたくしであるが、碧猫さんに手を差し伸べてあげよう思うのだ。
そしてまた、けしてこれを読んでも反省などしないであろう(何を?)「ニセ科学批判猫派」の皆様にも平和的な解決を提案したい。
即ち、共通の敵を作ればよろしい。
お互いにサメでも差別するということで手を打ちませんか?
こちらとか→http://d.hatena.ne.jp/islecape/
鶴の恩返し、量子力学、そして「マイナス1の存在確率」、あるいはぬこの運命パート3
きゃぁ〜、NANさんの最高にわかりやすくてビジュアル的にも読みやすいエントリがあがりました。
粉塵爆発電網記憶:【難解】存在確率マイナス1???
イラストは「柿の木・ちょちょんまげ両画伯」のスキルレベルに達していませんが、記事はメタわかりやすいです。さすが文章のプロ。(イラストのプロでもあるんだよね)
こちらも恒例の「シュレぬこ」逝きます!

どらねこ画伯お作 09年9月 「paraneko」

ちょちょんまげ画伯 09年9月 「ねこみみ」
でわ、わたくしもシコシコと続けることにいたします。
・アハラノフの弱い観測
アハラノフの提唱した「弱い観測」とは、
・「重ね合わせ」を壊さないように、観測量は最小限にとどめる。
・初期状態と結果が同じものだけ選択してそれ以外のものは捨て去る
・一回の観測では得られる情報は極わずかであるが、幾度となく観測結果を積み上げ、平均を取ることで「量子状態」の姿が見えてくる。
これらの特徴を併せ持つ。
良くわからないのは、「観測量は最小限にとどめる」って、どうやって「とどめる」んでしょうね?
これは記事を何度読んでもわかりません。
おそらくNANさんのエントリの表現に乗るならば、「オッパイが見えた」(全くなんてお下品な表現なんでしょう)まで観測せずに「湯気越しに見えたものオヤジのケツかも知れないけどとにかく人間の体の一部だった」ぐらいの情報を集積して行けば、いずれは「巨」、「貧」、「離」、「垂」などの物理的な特性も見えてきていずれは「このようなオッパイであった」というところまで言及できるようになると言ったところでしょうか。
ちゅうことで、この出歯亀さんは、とにかくぼんやりとオパイが覗ける能力を得た、ということにしませう。
で、この「オパイぼんやり覗き能力」=(弱い測定)が理論的に可能であるということからどういうことが予測できるかと言うと、
「ハーディのパラドックス」というものが予測されるのでした。
・ハーディのパラドックス
英国の物理学者ハーディ(Lucien Hardy)が提唱した特殊な干渉計(私も良くわからないのですけど、「粒子」の「波」としての特性である「干渉」という現象が観測できる装置ですな)の中に電子と陽電子を入れて中を覗くと粒子の存在確率が「マイナス1」になる、という「ハーディのパラドックス」。
「光子」を除いて、全ての「粒子」には「反粒子」が存在する(って、これあってるかな?)
「反粒子」とは、電荷など(うー、電荷以外には何があるかわからん)の正負が逆で、他の物理特性は「粒子」と全く同じものをいう。
で、それらの「反粒子」から出来た物質が「反物質」である。
この宇宙が「通常物質」ばっかりあってなぜ「反物質」が全然見られないのか、みたいな話もめっちゃくちゃおもろいのですが、ここでは省略せざるを得ません。
・お役立ちメモ 「反粒子・反物質の歴史」
人間っちゅうか、科学って凄いなぁって、思うのは、
誰も想像でさえしたことのない「反物質」を理論的に予言(1928年)。ポール・ディラックというカッコいいオサン。わたくしのヒーローの1人。
↓
その「数学的にマイナスが出てきた」ということだけを取っ掛かりにしてディラックの予言からわずか四年後に「陽電子」を確認
↓
その後、各種粒子の反粒子(反陽子とか)発見。
↓
1995年、欧州原子核研究機構(CERN)では遂に「反水素」(初の反物質ですな)生成。
↓
2002年 欧州原子核研究機構で日本を含む国際共同研究実験グループにおいて、反水素の5万個ほどの大量生成に成功。
とまぁ、ディラックの予言から70年余で、数学的に負の数が出たというところからの理論的予測の反粒子から始まって、「反物質」まで作り出しちゃうんだから凄いものです。
「陽電子(ポジトロン)」に至っては、「ポジトロン断層法」などといふ「陽電子検出を利用したコンピューター断層撮影技術」で「ガンの発見」などに活躍ちゅう。いやはや。
しかし、これらの「科学の世界」におけるトンデモない想像力、発想力を知るにつけ、オカルティックな発想やらスピリチュアルやらの発想なぞ、実に現実の呪縛から逃れられない平凡でつまらないものに過ぎないことがよくわかります。(と、私は思います)
これら現実離れした恐るべき広がりを持つ発想と、「ありがとうと声をかけると水が美しい結晶を作ります」などという発想の貧困さを是非比べてみていただきたい。
そちらの支持者の方は「科学信者」のことを「そこから離れられないガチガチ頭の可哀想な人たち」みたいにおっしゃいますがね。
閑話休題
「ハーディのパラドックス」に話を戻します。
通常は「粒子」(ハーディのパラドックスでは「電子」)と「反粒子」(ハーディのパラドックスでは「陽電子」)が出会うと消滅(正確には質量がエネルギーに転換されたり、他の粒子になってしまう)してしまう。
日経サイエンスの記事によると「ハーディのパラドックス」は次のようなことである。
補足すると、もし交差点で電子と陽電子が出会わなければ、それぞれの干渉計でそれまでと同じように干渉が観察され、出会って「消滅」してしまえば干渉は観察されないはずである。
しかし、「ハーディのパラドックス」の理論的予測では「電子、陽電子は消滅せず、かつ干渉も起きない」という「出会ったのか出会わなかったのかわからない」という状況が予言されるというのである。
この実験を「電子、陽電子」を使って行うのは技術的にかなり困難であるらしい。
で、「電子、陽電子」を使わず、「光子」を使って成功させたのが大阪大学チームの本年三月の実験だったのである。
日経サイエンスの表現によると、
まだ、ちゅじゅく。
(ちかれた)
粉塵爆発電網記憶:【難解】存在確率マイナス1???
イラストは「柿の木・ちょちょんまげ両画伯」のスキルレベルに達していませんが、記事はメタわかりやすいです。さすが文章のプロ。(イラストのプロでもあるんだよね)
こちらも恒例の「シュレぬこ」逝きます!

どらねこ画伯お作 09年9月 「paraneko」

ちょちょんまげ画伯 09年9月 「ねこみみ」
でわ、わたくしもシコシコと続けることにいたします。
・アハラノフの弱い観測
アハラノフの提唱した「弱い観測」とは、
・「重ね合わせ」を壊さないように、観測量は最小限にとどめる。
・初期状態と結果が同じものだけ選択してそれ以外のものは捨て去る
・一回の観測では得られる情報は極わずかであるが、幾度となく観測結果を積み上げ、平均を取ることで「量子状態」の姿が見えてくる。
これらの特徴を併せ持つ。
良くわからないのは、「観測量は最小限にとどめる」って、どうやって「とどめる」んでしょうね?
これは記事を何度読んでもわかりません。
おそらくNANさんのエントリの表現に乗るならば、「オッパイが見えた」(全くなんてお下品な表現なんでしょう)まで観測せずに「湯気越しに見えたものオヤジのケツかも知れないけどとにかく人間の体の一部だった」ぐらいの情報を集積して行けば、いずれは「巨」、「貧」、「離」、「垂」などの物理的な特性も見えてきていずれは「このようなオッパイであった」というところまで言及できるようになると言ったところでしょうか。
ちゅうことで、この出歯亀さんは、とにかくぼんやりとオパイが覗ける能力を得た、ということにしませう。
で、この「オパイぼんやり覗き能力」=(弱い測定)が理論的に可能であるということからどういうことが予測できるかと言うと、
「ハーディのパラドックス」というものが予測されるのでした。
・ハーディのパラドックス
英国の物理学者ハーディ(Lucien Hardy)が提唱した特殊な干渉計(私も良くわからないのですけど、「粒子」の「波」としての特性である「干渉」という現象が観測できる装置ですな)の中に電子と陽電子を入れて中を覗くと粒子の存在確率が「マイナス1」になる、という「ハーディのパラドックス」。
「光子」を除いて、全ての「粒子」には「反粒子」が存在する(って、これあってるかな?)
「反粒子」とは、電荷など(うー、電荷以外には何があるかわからん)の正負が逆で、他の物理特性は「粒子」と全く同じものをいう。
で、それらの「反粒子」から出来た物質が「反物質」である。
この宇宙が「通常物質」ばっかりあってなぜ「反物質」が全然見られないのか、みたいな話もめっちゃくちゃおもろいのですが、ここでは省略せざるを得ません。
・お役立ちメモ 「反粒子・反物質の歴史」
人間っちゅうか、科学って凄いなぁって、思うのは、
誰も想像でさえしたことのない「反物質」を理論的に予言(1928年)。ポール・ディラックというカッコいいオサン。わたくしのヒーローの1人。
↓
その「数学的にマイナスが出てきた」ということだけを取っ掛かりにしてディラックの予言からわずか四年後に「陽電子」を確認
↓
その後、各種粒子の反粒子(反陽子とか)発見。
↓
1995年、欧州原子核研究機構(CERN)では遂に「反水素」(初の反物質ですな)生成。
↓
2002年 欧州原子核研究機構で日本を含む国際共同研究実験グループにおいて、反水素の5万個ほどの大量生成に成功。
とまぁ、ディラックの予言から70年余で、数学的に負の数が出たというところからの理論的予測の反粒子から始まって、「反物質」まで作り出しちゃうんだから凄いものです。
「陽電子(ポジトロン)」に至っては、「ポジトロン断層法」などといふ「陽電子検出を利用したコンピューター断層撮影技術」で「ガンの発見」などに活躍ちゅう。いやはや。
しかし、これらの「科学の世界」におけるトンデモない想像力、発想力を知るにつけ、オカルティックな発想やらスピリチュアルやらの発想なぞ、実に現実の呪縛から逃れられない平凡でつまらないものに過ぎないことがよくわかります。(と、私は思います)
これら現実離れした恐るべき広がりを持つ発想と、「ありがとうと声をかけると水が美しい結晶を作ります」などという発想の貧困さを是非比べてみていただきたい。
そちらの支持者の方は「科学信者」のことを「そこから離れられないガチガチ頭の可哀想な人たち」みたいにおっしゃいますがね。
閑話休題
「ハーディのパラドックス」に話を戻します。
通常は「粒子」(ハーディのパラドックスでは「電子」)と「反粒子」(ハーディのパラドックスでは「陽電子」)が出会うと消滅(正確には質量がエネルギーに転換されたり、他の粒子になってしまう)してしまう。
日経サイエンスの記事によると「ハーディのパラドックス」は次のようなことである。
二つの干渉計の経路を途中で交差させ、それぞれに電子と陽電子を入れる。
もし交差点で電子と陽電子が出会えば消えてしまい、出会わなければ干渉計はそれぞれ独立に動作すると予想される。
だが、実際にやってみると、両方とも起こらない場合がある。
果たして電子と陽電子は出会ったのか、それとも出会わなかったのか。
補足すると、もし交差点で電子と陽電子が出会わなければ、それぞれの干渉計でそれまでと同じように干渉が観察され、出会って「消滅」してしまえば干渉は観察されないはずである。
しかし、「ハーディのパラドックス」の理論的予測では「電子、陽電子は消滅せず、かつ干渉も起きない」という「出会ったのか出会わなかったのかわからない」という状況が予言されるというのである。
この実験を「電子、陽電子」を使って行うのは技術的にかなり困難であるらしい。
で、「電子、陽電子」を使わず、「光子」を使って成功させたのが大阪大学チームの本年三月の実験だったのである。
日経サイエンスの表現によると、
干渉計の中の光子をそっと除き見ると
ある場所にやってくる「確率」がマイナス1になった
常識に反する現象が実際に確認された
まだ、ちゅじゅく。
(ちかれた)





